だって、イライラしてようが笑ってようがママなんだし

どんなママだって、きっと、いつまでも育児できるわけじゃないって知ってる。けど、忘れちゃう。忘れたくないな、って思ったので書いておくことにしてみた。

夫の上司と妻という関係性

夫の上司のスピーチがママたちの心を打つ、
ライティングのお手本のような素晴らしい内容だったので、ちょっとここで紹介させてください。
 
 
先日、夫の会社の上司が、部下とそのファミリーを招いてバーベキューパーティーを開いてくれました。場所は西麻布の東京アメリカンクラブ。
 

12人ほどのチームメンバーのうち半数くらいが家族連れで、そのうち小さなお子さんを連れて参加していたのが、うちを含めて4家族ほど。
 
 
そのときの上司のスピーチがすごくて、冒頭から「心を鷲づかみ」にされてしまいました。録音していたわけではないので正確性には欠けますが、それはざっくりとこんな内容でした。 
 
 
 
上司: ぼくは今、この場に来てとても反省しています。
こんなにも小さなお子さんのお父さんを、いつも遅くまで働かせていたという事実に初めて気づいたからです。
 
うちの妻もそうですが、夫が普段、会社でどのような仕事をしているのか、ご家族はあまりご存知ないかと思います。この場をおかりして、今日は少しうちのチームがどのような仕事をしているのかについて説明させてください。(省略)
 
今、うちのチームはこのように事業を拡大していく過渡期にあります。
うちのメンバーはみなとてもまじめで、それは悪い意味ではなく、ほんとうによく働いてくれています。
 
ですが、今は忙しくても、この忙しさがずっと続くわけではない。だからこそご家族には、今しばらくあたたかい目で見守っていただきたいのです。
 
毎日帰りの遅い夫には、つい「もっと早く帰って子供の面倒みてよ」と言ってしまうことがあるかと思います。
ですが、どうかその言葉を「お疲れさま。大変だったね」という労いの言葉に変えてあげてほしい。
 
その言葉が、彼らを勇気付け、明日から働く原動力となるはずだからです。どうぞご協力いただければ幸いです。
 
 
(ここまで)
 
 
 
妻にとっての夫の上司って、夫を介してしかその人柄や考えを知り得ない相手なんですよね。
 
 
そんな上司の立場でものを考える機会なんて、私にはこれまでほとんどありませんでした。
 
 
だけど、実際には夫の上司次第で家庭が壊れることだってあるはず。妻次第で夫が働けなくなることだって、あるはずなんですよね。
妻と夫の上司は、間接的にはとても大きく影響し合っていると思うんです。

 
それでも問題が起こったりでもしなければ、そのことに思い至る機会は、実際にはほとんどない。
 
 
このスピーチのすごいところって、夫の上司が妻の立場に寄り添って話してくれているだけでなく、具体的なアクションまで示してくれたことにあると思うんです。
 
 
「妻」たちって、夫の仕事に関してはともすると「蚊帳の外」になりがち。それもあって、「子育て」に没頭していると、社会から取り残されているような感覚になってしまうことがあるんです。
 
 
だけどこのスピーチでは、そんな妻たちにも「夫への労い」によって社会とリンクする機会、夫の仕事とリンクする機会を与えてくれているんですよね。

 
 
「夫の仕事」に対する、妻の役割を明確にしてくれたわけです。

 
 
私自身、この日以来、「あの上司が遅くまで残れと言うのなら止むを得ない」って思うようになりました。
こんな上司のもとで働ける夫は「しあわせだなあ」って、心から思う。

 
 
目の前にいる部下だけでなく、その家族のことにまで思いを馳せることって、そうそうできることではないと思います。
 
 
それでも、それができるかできないかでこんなにも妻の気持ちが変わるのだということをわかってもらえるなら、なんだかみんなにとっていい「働き方」に近づいていくことができるんじゃないのかなあ、って思います。
 
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。

「家事時間」が短縮し、「育児時間」が長くなっているというニュースに触れて思ったこと

こんにちは。Ikuji_tanoshimuです。
突然ですが、こんなニュースがネットや新聞などで取り上げられていたのを知っていますか?

 

 


 小さい子どもがいる世帯で、家事よりも育児に時間を割く傾向が強まっている。

総務省の社会生活基本調査(2016年)によると、 6歳未満の子どもを持つ妻の育児時間は1日あたり3時間45分と、11年の前回調査から23分、20年前から1時間2分それぞれ増えた。一方、家事時間は前回調査から28分、20年前からは1時間1分それぞれ減った。

家事の時間を節約できる「時短家電」の普及や夫の家事参加で、妻が育児に時間を回しやすくなっている。
                               (2017年10月17日日本経済新聞 電子版より一部抜粋)

  

 

簡単に言うと、「小さな子どもをもつママさんたちは、家事をしなくなった分育児する時間が増えたよね。それって、時短家電や夫の家事参加のおかげだよね〜」ってことですよね。

 

なんとなく、「夫の家事参加」っていう言葉にちいさなひっかかりを持ちつつ、


「そもそも子供の洗濯物たたむのは、家事? 育児?」っていう疑問がわいたので、
総務省に直接問い合わせてみることにしました。

 


それでわかったのは、この調査では時間軸における「育児」「家事」の分類ってけっこう厳密にやっていて、たとえば同じ「洗濯」でも、「子供の洗濯」であれば「育児」に。料理なら、それが子供のための料理であれば「育児」に分類するよう、あらかじめ書面で説明しているとのことでした。


つまり、その家事が「誰のための行為か」ってことで、明確に「家事」と「育児」に分けて考えているんですよね。なんか、感心しちゃいました。


「家事」や「育児」の分類って、ものすごく複雑だと思うんです。
料理をしていたら子どもがハイハイしながらやってきたので、ベビーキャリアでおんぶしながら料理した。とか、夜寝ているときに子どもが起きたので添い乳しながら半分寝ていた、とか。

「育児」ってほとんどそういうものですよね。いわゆる、「ながら育児」っていうやつこそ「王道」で、だけどそれを言葉にして伝えるって、実は、すごくむずかしい。


「オムツ替え」とか「授乳」とか「寝かしつけ」とかあるけど、それであればパパさんに「お願い」って言いやすい。言語化できるから。でも実際には「お願い」ってバトンタッチできない、わかりにくい「育児」っていっぱいあるじゃないですか。

それってほとんどの場合、ママさんがすべて引き受けているんだと思うんですよね。



でも、一方「家事」であれば、明確に分けられると思うんです。
今回のアンケートでもやっているように、それが子供のためなのか、夫のためなのかでそれが「家事」にあたるか、「育児」にあたるのかってきっちりと分類できるんですよね。

だから、やっぱり冒頭の記事に書かれているような「夫の家事参加」っていう言葉は、ちょっとちがうと思うんです。

なぜって、夫の洗濯物は「夫が家事参加」してたたむものではなく、
「自分のもの」だからたたむのだから。

それは一人暮らしをしていたなら、本来、夫はとうぜんのようにやっていたわけで、
それはたまたま結婚して「分担」していたからやっていなかっただけ。
子供が産まれて「ママさんの労働」が夫から子どもにシフトしていったなら、
やっぱりもう一度「自分のことは自分でやる」という意識を持たなければいけないんじゃないかと思うんです。

それは、ママさんが外で働いているかどうかに関わらず。

実際に家事ができるかどうかって、夫の働き方にもよるので厳しいことを言っていると思います。実際には、とてもそこまで手が回らない夫だって多いのかもしれない。

それでも、「自分のことをやってもらっている」という意識を持てるか持てないかで、
夫婦間の見えない温度差みたいなものって、だいぶ解消されるような気がするんですよね。

なぜならママさんは「言葉にできない、言い表せない育児」みたいなものに毎日奮闘しているのだから。


だけどそれにはやっぱり、 ママさん自身も「やってほしいこと」を言語化して、
しっかりと夫には伝えなければならない。「察してよ」っていうのは通用しないのかなって思います。

先にも言ったように、家事と育児の境界線はとても曖昧で、夫からすると「俺が何を手伝えばいいの?」って思うとおもうから。

そんなときには、ふと、それが「誰のための行為か」ということに思いを馳せると、ママさんが手伝って欲しいのが家事なのか育児なのかってことは、割と明確になるのではないかな、って思います。

家事を頼んで、「なんで俺が・・・」っていう態度の夫にも毅然と、
「それはあなたのことであって私の仕事ではないから」って言えると思います。

ちなみに、うちでは育児においても「あなたの子どもじゃん」って言っています(笑)

子どもはかわいい。だからこそ、ママさんの多くが
家事時間で短縮された時間のほとんどを「育児」にあてているのだと思います。

そんな頑張り屋さんの日本のママさんたちが
夫とも子供たちとも円満に、にこにこしていられればいいなあ、私もそうでありたいなあ、と思います。

長文、おつきあいいただきありがとうございます。

あんなおばあちゃんになりたいけど、多分、無理だろうなあ。

hatena blog 今週のお題は「私のおじいちゃん、おばあちゃん」。

今回は、お題をうけ、子どもたちの祖母であり、私の義母のことを書こうとおもいます。

 


それは、以前、私がまだ結婚したばかりの頃のことです。

義実家に滞在中、嫁入りした私を「なんていう名前で呼ぶか」ということが、
軽く話題にのぼったことがありました。

夫の妹は「嫁ちゃん、でいいじゃん」といって、それまでも実際にそう呼んでいました。
妹の夫と私のニックネームがともに「あきちゃん」でややこしいし、
私も、そんなふうに呼ばれることになんの抵抗感もなかったので特になんとも思っていなかったんですよね。


でも、次の瞬間、いつもはやさしいおばあちゃんが激怒したんです。

 

 

おばあちゃん絶対にそんなふうに呼ぶもんじゃない!ちゃんと“あきちゃん”って呼びなさい!!

 

すると妹は、

 

:だって、それじゃあ、うちの夫のあきちゃんとかぶるじゃん!

 

 

おばあちゃんだったら、あなたの夫の呼び方を変えなさい!!!

 

これには、そこにいた全員が ”ぽかん” としました。

 

:え?いまさら?(結婚してから10年以上呼び続けているのに?)



そんなこんなの一連のやりとりがあり、新米の嫁である私はあわわわわ。。。


でもね、でも、
よく考えてみると、これは、おばあちゃんの「やさしさ」以外のなにものでもないわけですよね。


「嫁ちゃん」って呼ばれていたとしたら、きっと、私は、
いつまでたっても義実家にとっての「よそ者」であることを、
そう呼ばれるたび感じ続けることになったのではないかな、って思います。

 

おばあちゃんにとっては、息子と結婚した時点で私は「家族の一員」です。
いかにして、気のおけない関係を築いていくか、ということを最優先に考えてくれたがゆえの先の会話だったのだと思うのです。


ぼーっとしている私は、そんなおばあちゃんの思いやりに気づくまでにはすこし時間がかかってしまったけれど、
このときのことがあって、心から「この家に嫁に来てよかったなあ」と実感しました。


結婚すると、もう一つの「家族」ができます。
自分の家族以外をその内側から見つめる機会は、結婚でもしない限りそうあることではない。


夫の実家とは、つまりは夫の製造元。
夫の性格のあれこれがどのように形成されてきたのかっていうのは、母親として、妻としてはめちゃくちゃ興味深いところ。

 

私の場合は、「感服だなあ」。むしろ、夫にきいてみたいくらい。「あの、できた母親を持ったあなたが、なぜ、わたしを選んだのか?」ってね。

ほんと、すごいおばあちゃんなんですよ。

たとえば、3人の子供をほぼワンオペで育てながら、双子の妹と一緒に兼業農家として米まで栽培しているパワフルさや、

自分よりもいつも他の人の幸せばかり考えていて、毎年、体の不自由な親戚のために、10個以上のおせちをこさえて届けにいっている、という奉仕の精神。

子供にたのまれたことは「絶対に忘れない」という責任感などなど、あげればキリがないくらい。


どれをとっても、私にはまったく足りないものをたくさん持っている人なんです。



実母とはまったくちがう母親像に触れられたことは、私の人生においてはとても大きなことだった。
それにより、」私自身の目指すべき「母親像」も大きく変わって来ました。


おばあちゃんにはしてもらってばっかりで何もお返しができていないけれど
いつか、ちゃんとこの気持ちを形にしてお返ししていけたらな、って思います。














『THE ママ友づき合い!』は本当に面倒?エリート女医からすると「夢のような関係だった」件

こんにちは。ikuji-tanoshimuです。

とつぜんですが、
どんな育児サイトにも必ずといっていいほど「ママ友同士の軋轢」的な記事が載っていますよね。
みなさんにとって、「ママ友」。どんな存在ですか?

気になって、ちょっとgoogleのシークレットモードでググってみました。


f:id:ikuji_tanoshimu:20170913160716p:plain


本気で、ポジティブなワードが一つもなかった・・・。っていうか、「地獄」が2番目に出てくるって・・・。



なんというか、ママ友ってどことなく、入院患者(自分)と看護師(ママ友)の関係に近いのかもなあ、と思いませんか?

入院すると、自分は医療者に命を預けているわけなので嫌われたらなにかと面倒じゃないですか。だから、嫌われたくない。


その点においてはママ友も同じで、子供という自分にとっては命みたいに大事なもので繋がっているいるわけだから、やっぱり嫌われたくないわけですよ。っていうより、うまくやっていきたいですよね。


でも、私、昔あるインタビューでエリート女医さんを取材したときに、こんなことを言われてめちゃくちゃ驚いたことがあったんです。

 


「ママという共通項だけで、学歴も、職業もまったく関係なく人と繋がれるなんて、なんて幸せなんだろうって思って」

 


驚いた、っつーよりは「はあ?」って感じでしたね。その場では。


当時は、私も子供を産んだばかりでステレオタイプなママ友の存在に怯えきっていたし、
「所詮期間限定の、子供というツールがなければ付き合うこともない相手でしょ?」といった具合に、かなり、ママ友に対しては歪んだ考えを持っていたんですね。

だから、その女医さんのようなポジティブなコメント、ママ友に関してはそれまで誰からも一度も聞いたことがなかったんですよね。


だけど、想像するに、その女医さんの人生って、きっと、ずーっと勉強、勉強、勉強だったんだと思うんです。

 

医学部に入れば、今度は見渡す限り医療者ばかり。
いわゆる一般ピープルみたいな人って、患者さん以外では出会えないような人生ですよね。


そんな人からすると、「●●ちゃんのママ」なんて言われる世界はまるで異世界だったんでしょうね。


その後、その女医さんは、医師の夫がハーバード大学へ留学するっていうので、キャリアを捨ててついていきました。

「わあ!どんなママ友の世界が広がっているんだろう!」


て、わくわくしたのだそうです。


だけど、結果的にはそこで、ママ友の夢に破れたんだそう。なぜか。

 

それは、アメリカがナニーの文化だから。どこの公園へ行ってもそこにいるのはナニーばかり。
ナニーって、教育まで担ってくれるベビーシッターのこと。
つまり、張り切って「ママ友作るぞ!」って渡米したはいいけど、その女医さんの場合、本当のママはみんな働きに出ていたのだそうな。

そこですごいのは、「だったら」と、今度はアメリカの医師免許を取得して、自分も働き始めたわけですよ。



私、その話きいてて思ったんですよね。

どんな場所にいても花を咲かせられる人は、置かれた状況に感謝できる人なんだな、って。


きっと、その女医さんの考えに、「でも」とか「だって」ってないと思うんですね。

代わりにあるのは、「せっかく」ってことなんだと思うんですよね。


「せっかく、ママになれたんだから」って。
職業上、ママになれなかった女性たちにもたくさん出会ってきたこともあるのかもしれない。



だけど、自分自身、「でも」とか「だって」を「せっかく」に変換してみると、
不思議と、「ママって、めちゃくちゃいいもん」って気がしてくるんですよね。

 

「でも、ママ友って所詮、子供で成り立ってる関係じゃん」

ではなく、


「せっかく子供っていう共通項をきっかけにママ友ができたんだから、そうした関係を楽しんでみたいじゃん」

といった具合に。

 

そうやって「せっかく」「せっかく」って考えて言った末には、

あ、ママって、期間限定の「大好き」をお腹いっぱいもらえる資格のある人なんじゃないかなって。そんな気がしてくるわけですよ。

 

子供からもらえる、あんな、こんな「好き好き」。
子供がちょっと大きくなったら、もう、おおっぴらには言ってもらえないですから、
今だけ、のかなり期間限定なギフト。

実は、ママって、その存在だけで「子供からもうめちゃくちゃ愛されている女」であることは、間違いないんですよね。

 

誰かに愛されている女って、もっと強くて、活き活きとしていていいような気がするんですよね。
たとえ、ママ友の一人に嫌われてしまうことになったりしたって、
そんなもの、子供から与えられている「大好き」に比べれば、ほんっとーに些細なものなんじゃないかって思えるくらいに、どどーんとしていて。

それに、「ママ友」ってやっぱりなんだかんだいっても「いざ」という時には同士なわけですよ。
子供の命をいざというときに守り会える仲間、みたいな意識でつきあっていれば、
中学や高校時代の延長みたいなママ友関係にはなりにくいように思います。

 

もちろん、いじめ、みたいになって苦しんでいる人たちもたくさんいると思うので一概には言えないけれど、
ちょっと、そう考えることで楽になれる人がいれば、いいなあ、と思うのでした。

 

医療系ライターなのに、育児ブログをはじめることにした理由

こんにちは〜、ikuji_tanoshimuともうします。



タイトルの通り、普段は主にお医者さんとか看護師さんに取材をして文章を書くお仕事をしているライターです。

hatenablogでは、読んでくれた人から「ああ、ママ(パパ)になってよかったなあ」と思ってもらえるような育児のあれこれを綴っていけたらなあ、とおもっています。

 


というのも、わたくし、なぜかとっても「育児の相談」に乗る機会がよくありまして、、、


助産師でも看護師でもなく、保育関係者でも教育者でもなく、それにまつわるなんだかセラピストとかそうした資格もまったくなんにもないんですけど、
なぜか、妊娠や出産、育児の相談をよく受けるんですね。

 

しかもその後には、相手から「スッキリしたわ」といってもらうことが多くありまして、その言葉に、むしろ「こっちがスッキリしたわ!」となったりするんですよね。なんか、それって双方うれしいのかな、と。


で、なんでそう言われるのかを考えてみたところ、



・一人目の育児(現在 5歳女子)でめっちゃ悶々と陰気に悩んできたので、どんなネガティブな相談にも「ひかない&共感できる」ことが多いのかな、と

 


・それから、一人目でそんだけ悩んできたのに二人目(現在 8ヶ月女子)で「育児ってたのしー!子供かわいい!」って、ぱっかーんってなったというそのギャップに、「なんで?どうしてそうなれたの?」と、その理由を訊かれやすかったり、

 

 

・さらには、いわゆる自然派志向みたいなものに傾倒していた時期もあったりで、
医療系ライターとしてそれなりに役立つ医療情報みたいなのを持っていつつも、「そんなの育児系webとかにはのってないじゃん!」みたいな、おばあちゃんの知恵袋的情報もけっこう持っていたりするのです。

 


そんなこんなで、私のしがない子育て経験が役に立てるのであれば、うれしいなあ、と思った次第です。

 

さいきんは、特になんとなく、「妊娠したよー!」「いい出産だったよ!」「子供って超かわいい!」ってことを周囲に発信しにくい雰囲気も感じたりします。

だけど、せっかくの貴重な「妊娠・出産・育児」。親としても女としても、それを成功体験にできるようになれば、もっと楽しくなるのになあ、というのが個人的な想いとしてありまして、



ひっそりとではありますが、
育児に興味のあるたくさんの人たちから「読んでよかった!」と思ってもらえるようなブログとするべく、ゆるーりと発信していければ、とおもいます。


よろしくお願いします。