だって、イライラしてようが笑ってようがママなんだし

どんなママだって、きっと、いつまでも育児できるわけじゃないって知ってる。けど、忘れちゃう。忘れたくないな、って思ったので書いておくことにしてみた。

あんなおばあちゃんになりたいけど、多分、無理だろうなあ。

hatena blog 今週のお題は「私のおじいちゃん、おばあちゃん」。

今回は、お題をうけ、子どもたちの祖母であり、私の義母のことを書こうとおもいます。

 


それは、以前、私がまだ結婚したばかりの頃のことです。

義実家に滞在中、嫁入りした私を「なんていう名前で呼ぶか」ということが、
軽く話題にのぼったことがありました。

夫の妹は「嫁ちゃん、でいいじゃん」といって、それまでも実際にそう呼んでいました。
妹の夫と私のニックネームがともに「あきちゃん」でややこしいし、
私も、そんなふうに呼ばれることになんの抵抗感もなかったので特になんとも思っていなかったんですよね。


でも、次の瞬間、いつもはやさしいおばあちゃんが激怒したんです。

 

 

おばあちゃん絶対にそんなふうに呼ぶもんじゃない!ちゃんと“あきちゃん”って呼びなさい!!

 

すると妹は、

 

:だって、それじゃあ、うちの夫のあきちゃんとかぶるじゃん!

 

 

おばあちゃんだったら、あなたの夫の呼び方を変えなさい!!!

 

これには、そこにいた全員が ”ぽかん” としました。

 

:え?いまさら?(結婚してから10年以上呼び続けているのに?)



そんなこんなの一連のやりとりがあり、新米の嫁である私はあわわわわ。。。


でもね、でも、
よく考えてみると、これは、おばあちゃんの「やさしさ」以外のなにものでもないわけですよね。


「嫁ちゃん」って呼ばれていたとしたら、きっと、私は、
いつまでたっても義実家にとっての「よそ者」であることを、
そう呼ばれるたび感じ続けることになったのではないかな、って思います。

 

おばあちゃんにとっては、息子と結婚した時点で私は「家族の一員」です。
いかにして、気のおけない関係を築いていくか、ということを最優先に考えてくれたがゆえの先の会話だったのだと思うのです。


ぼーっとしている私は、そんなおばあちゃんの思いやりに気づくまでにはすこし時間がかかってしまったけれど、
このときのことがあって、心から「この家に嫁に来てよかったなあ」と実感しました。


結婚すると、もう一つの「家族」ができます。
自分の家族以外をその内側から見つめる機会は、結婚でもしない限りそうあることではない。


夫の実家とは、つまりは夫の製造元。
夫の性格のあれこれがどのように形成されてきたのかっていうのは、母親として、妻としてはめちゃくちゃ興味深いところ。

 

私の場合は、「感服だなあ」。むしろ、夫にきいてみたいくらい。「あの、できた母親を持ったあなたが、なぜ、わたしを選んだのか?」ってね。

ほんと、すごいおばあちゃんなんですよ。

たとえば、3人の子供をほぼワンオペで育てながら、双子の妹と一緒に兼業農家として米まで栽培しているパワフルさや、

自分よりもいつも他の人の幸せばかり考えていて、毎年、体の不自由な親戚のために、10個以上のおせちをこさえて届けにいっている、という奉仕の精神。

子供にたのまれたことは「絶対に忘れない」という責任感などなど、あげればキリがないくらい。


どれをとっても、私にはまったく足りないものをたくさん持っている人なんです。



実母とはまったくちがう母親像に触れられたことは、私の人生においてはとても大きなことだった。
それにより、」私自身の目指すべき「母親像」も大きく変わって来ました。


おばあちゃんにはしてもらってばっかりで何もお返しができていないけれど
いつか、ちゃんとこの気持ちを形にしてお返ししていけたらな、って思います。