だって、イライラしてようが笑ってようがママなんだし

どんなママだって、きっと、いつまでも育児できるわけじゃないって知ってる。けど、忘れちゃう。忘れたくないな、って思ったので書いておくことにしてみた。

『THE ママ友づき合い!』は本当に面倒?エリート女医からすると「夢のような関係だった」件

こんにちは。ikuji-tanoshimuです。

とつぜんですが、
どんな育児サイトにも必ずといっていいほど「ママ友同士の軋轢」的な記事が載っていますよね。
みなさんにとって、「ママ友」。どんな存在ですか?

気になって、ちょっとgoogleのシークレットモードでググってみました。


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本気で、ポジティブなワードが一つもなかった・・・。っていうか、「地獄」が2番目に出てくるって・・・。



なんというか、ママ友ってどことなく、入院患者(自分)と看護師(ママ友)の関係に近いのかもなあ、と思いませんか?

入院すると、自分は医療者に命を預けているわけなので嫌われたらなにかと面倒じゃないですか。だから、嫌われたくない。


その点においてはママ友も同じで、子供という自分にとっては命みたいに大事なもので繋がっているいるわけだから、やっぱり嫌われたくないわけですよ。っていうより、うまくやっていきたいですよね。


でも、私、昔あるインタビューでエリート女医さんを取材したときに、こんなことを言われてめちゃくちゃ驚いたことがあったんです。

 


「ママという共通項だけで、学歴も、職業もまったく関係なく人と繋がれるなんて、なんて幸せなんだろうって思って」

 


驚いた、っつーよりは「はあ?」って感じでしたね。その場では。


当時は、私も子供を産んだばかりでステレオタイプなママ友の存在に怯えきっていたし、
「所詮期間限定の、子供というツールがなければ付き合うこともない相手でしょ?」といった具合に、かなり、ママ友に対しては歪んだ考えを持っていたんですね。

だから、その女医さんのようなポジティブなコメント、ママ友に関してはそれまで誰からも一度も聞いたことがなかったんですよね。


だけど、想像するに、その女医さんの人生って、きっと、ずーっと勉強、勉強、勉強だったんだと思うんです。

 

医学部に入れば、今度は見渡す限り医療者ばかり。
いわゆる一般ピープルみたいな人って、患者さん以外では出会えないような人生ですよね。


そんな人からすると、「●●ちゃんのママ」なんて言われる世界はまるで異世界だったんでしょうね。


その後、その女医さんは、医師の夫がハーバード大学へ留学するっていうので、キャリアを捨ててついていきました。

「わあ!どんなママ友の世界が広がっているんだろう!」


て、わくわくしたのだそうです。


だけど、結果的にはそこで、ママ友の夢に破れたんだそう。なぜか。

 

それは、アメリカがナニーの文化だから。どこの公園へ行ってもそこにいるのはナニーばかり。
ナニーって、教育まで担ってくれるベビーシッターのこと。
つまり、張り切って「ママ友作るぞ!」って渡米したはいいけど、その女医さんの場合、本当のママはみんな働きに出ていたのだそうな。

そこですごいのは、「だったら」と、今度はアメリカの医師免許を取得して、自分も働き始めたわけですよ。



私、その話きいてて思ったんですよね。

どんな場所にいても花を咲かせられる人は、置かれた状況に感謝できる人なんだな、って。


きっと、その女医さんの考えに、「でも」とか「だって」ってないと思うんですね。

代わりにあるのは、「せっかく」ってことなんだと思うんですよね。


「せっかく、ママになれたんだから」って。
職業上、ママになれなかった女性たちにもたくさん出会ってきたこともあるのかもしれない。



だけど、自分自身、「でも」とか「だって」を「せっかく」に変換してみると、
不思議と、「ママって、めちゃくちゃいいもん」って気がしてくるんですよね。

 

「でも、ママ友って所詮、子供で成り立ってる関係じゃん」

ではなく、


「せっかく子供っていう共通項をきっかけにママ友ができたんだから、そうした関係を楽しんでみたいじゃん」

といった具合に。

 

そうやって「せっかく」「せっかく」って考えて言った末には、

あ、ママって、期間限定の「大好き」をお腹いっぱいもらえる資格のある人なんじゃないかなって。そんな気がしてくるわけですよ。

 

子供からもらえる、あんな、こんな「好き好き」。
子供がちょっと大きくなったら、もう、おおっぴらには言ってもらえないですから、
今だけ、のかなり期間限定なギフト。

実は、ママって、その存在だけで「子供からもうめちゃくちゃ愛されている女」であることは、間違いないんですよね。

 

誰かに愛されている女って、もっと強くて、活き活きとしていていいような気がするんですよね。
たとえ、ママ友の一人に嫌われてしまうことになったりしたって、
そんなもの、子供から与えられている「大好き」に比べれば、ほんっとーに些細なものなんじゃないかって思えるくらいに、どどーんとしていて。

それに、「ママ友」ってやっぱりなんだかんだいっても「いざ」という時には同士なわけですよ。
子供の命をいざというときに守り会える仲間、みたいな意識でつきあっていれば、
中学や高校時代の延長みたいなママ友関係にはなりにくいように思います。

 

もちろん、いじめ、みたいになって苦しんでいる人たちもたくさんいると思うので一概には言えないけれど、
ちょっと、そう考えることで楽になれる人がいれば、いいなあ、と思うのでした。